其処には木犀の木が植えられており、秋になるといっせいに香りを放つ。
見習い兵士としてやってきた少年は、騎士になることを夢みている。


こんなに長く、村を離れているのは初めてだ。
城の生活は思った以上に窮屈だった。
厳しい鍛錬、訳のわからない決まりごと。
勿論騎士になるのを諦めるつもりは毛頭無いが、
それでも気分が沈むこんな日もある。

城の裏庭の番が、今晩の役目だ。
滅多に人が来ない其処は木々の手入れもおざなりにしか為されておらず、
夜など特に気味が悪いとこぼしていた同僚の言葉も納得できた。
ちょっとした森のようだ。
引継ぎを終え、前任者が去ると、
定められた位置に剣を携え座り込む。
頭上には細い月。

舟をこぎ、剣を取り落としかけて眼を覚ます。
何度かそれを繰り返した挙句、少年は立ち上がった。
大きく伸びをし、鼻をすする。
随分冷え込んできたようだ。
コートの前をかきあわせ、たいまつが燃えているのを確認してはそこいらを歩く。
やがてその足が止まり、青い目が不思議そうに周囲を見まわし、そして一本の木を目指して歩き出した。

嗅いだことのある香り。
花の香りだということを彼は知っている。 ウルの村のあちこちに植わっていた木犀の木。
この時期一斉に花をつけ、その香りで秋の到来を告げていた。
あと一度月が巡れば、麦の刈り入れ時になる。
実りの秋が来る。
村中が何かを待ち望むような、心踊る空気。

「ここにも、あったのか。」
運ばれた情景は、少年の心をひどくあいまいな感情で確かに満たした。
「懐かしい」
木犀の木の下で、彼は確かめるようにそっとつぶやく。
たいまつのこげる匂いがした。
木犀の香と混ざり合う。
少年はそれを静かに吸い込む。
のどに、胸に、染み透るような木犀の香。今の情景。
そして過去の記憶。


「どうした、ファルスーン」
見知らぬ街は大層にぎわっている。
雑踏の中、急に立ち止まった彼にメルフィスは声をかけ、そして
「木犀の匂いだな」
と言った。
その声がどこか柔らかだったのは、
気のせいではないだろう。




木犀の香
2001.10.30


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